神の見えざる手

 若い人の中には、もっと働きたくてウズウズしている人たちがいる。結果を出して評価を
得たいから、どんどん仕事するわけですよ。ところが現法制化では上司が「早く帰りなさい」
と。本来そこは代休などの制度を確保したうえで、個人の裁量に任せるべき。働きたい人間
が働くのを阻むのはマイナスですよ。
 仕事が面白い、もっと能力を高めたいと思っているときに、人の能力は伸びます。自分
自身の商品価値が上がれば、会社が買収されたとか倒産した場合でも、労働市場で売れる
わけです。今まで8時間かけていた仕事を4時間でこなして、残り4時間を勉強に充てようと
か、ボランティアをやろうとか、介護や育児に回すこともできる。24時間365日、自主的に
時間を管理して、自分の裁量で働く。これは労働者にとって大変プラスなことですよ。
 自己管理しつつ自分で能力開発をしていけないような人たちは、ハッキリ言って、それなり
の処遇でしかない。格差社会と言いますけれど、格差なんて当然出てきます。仕方がない
でしょう、能力には差があるのだから。結果平等ではなく機会平等へと社会を変えてきたの
は私たちですよ。下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。そう言って甘やかすのはいかが
なものか、ということです。
 さらなる長時間労働、過労死を招くという反発がありますが、だいたい経営者は、過労死
するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思い
ます。ボクシングの選手と一緒。ベストコンディションでどう戦うかは、全部自分で管理して
挑むわけでしょう。自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは
言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、
会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。
 ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおか
しい。たとえば、祝日もいっさいなくすべきです。24時間365日を自主的に判断して、
まとめて働いたらまとめて休むというように、個別に決めていく社会に変わっていくべき
だと思いますよ。同様に労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めて
いけばいいこと。「残業が多すぎる、不当だ」と思えば、労働者が訴えれば民法で済むこと
じゃないですか。労使間でパッと解決できるような裁判所をつくればいいわけですよ。
 もちろん経営側も、代休は取らせるのが当然という風土に変えなければいけない。うちの
会社はやっています。だから、何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければいけない
のかと思っているわけです。

ザ・アール代表取締役社長 奥谷禮子
2007.1.13週刊東洋経済 44ページより引用

某所より転載。
労働時間、賃金は経営者と労働者との間でやり取りして決めるべきだって言う
主張はまぁ正論といえば正論なんだけど、その調整するコストとかを削減するために、
一律の残業代とか時間給とか決めてるんじゃないかね?
アダムスミスの主張した神の見えざる手による調整の結果がどうなったか、とか、
ちょっとは勉強した方がよろし。
かといって、過渡にケインズ理論みたいな調整増やせば良いってもんでもないけどさ。